2018年10月2日火曜日

看取り

昨年末からパートで勤めている有江です。このブログを書くのは今回が初めてになります。宜しくお願い致します。

私の業務は、リハスポット エールでのリハトレーナーと、社内全般のITC化を(ゆっくりと)進める役割を、兼務しています。元来は半導体関連の技術者ですが、福祉に関しては、子育て支援や障碍者支援から老人介護まで、20年ほど、主にボランティアとして現場に関わってきました。 

さて、
弊社リハビリテーションコムラッドは、天草で生まれ育った20代から30代の若者が、60代の親の事や一家の事を適切にフォローしつつ、自分達も機嫌よく仕事をこなし、地域社会に貢献し乍ら、この地で一生を過ごす。というコンセプトの元に作られた会社です。現に社長は30代前半です。 

一方で還暦を過ぎた私は、この若い世代のコンセプトに首肯し乍ら、40代から60代の世代が、自分の食い扶持を慎ましく稼ぎ且つ「機嫌良く」仕事をし乍ら、80代から100歳代の親のフォローを適切に行いつつ、その親が「機嫌良く」天寿を全う出来る様な環境を整え、加えて数十年後に自らも機嫌よく天寿を全うできる様な仕組みを作りたい。 と、考えています。その仕組みの具体的な話はおいおい開陳していきたいと思いますが、孰れにしても「機嫌良く」というのが重要なポイントです。

去る9月24日に、天草市民センター大ホールで「輪になって看取ろう」という市民講座が催されました。2部構成になっており、1部では、震災関連で看取りの現場を取材し続けてきた写真家、國森康弘氏の講演。2部では、自宅で家族の看取りを経験された方と、その看取りをフォローした医療介護の関係者達によるシンポジウムです。リハステーションRICHEのスタッフも会場整備でお手伝いしました。主催は熊本県訪問看護連絡協議会天草ブロック。共催は天草市と天草郡市薬剤師会です。特に2部は、良い看取りのお手本のような内容で、故人もご家族も貴重で幸せな時間を過ごされたと感じました。

一方で、この様な自宅での看取りは、私が小学生の頃、今から50年程前には普通であったと記憶していますが、出産と同じように、人間の生死の瞬間が病院である事が今では当たり前になりました。厚労省の統計によれば、1975年に自宅で死ぬ人と、施設(含病院)で死ぬ人の割合がほぼ半々になり、昭和20年代に自宅で亡くなる人は8割を超えていたが、1995年には施設で亡くなる人が8割を超えています。

この市民講座が開催される少し前に、三砂ちづる著「死にゆく人のかたわらで」という本を読みました。三砂さんといえば、2004年に上梓された「オニババ化する女たち」が有名で当時のベストセラーです。一方でこの本はフェミニズムの人たちから凄まじい集中砲火を浴びました。私はリアルタイムでその様子を見ており、かなり重苦しい気持ちになったことを覚えています。

オニババ本では出産を尊いものとして扱う三砂さんに対して「産みたくても産めない人の事も考えろ!」という批判がありました。同じように、死にゆく人のかたわらでには、三砂さんにお悔やみを述べる人へ「家族を家で看取ったことは良い経験でした、その経験がいまもわたしをささえてくれます・・・ そのように言うことが多かったのだが、ほどなく、気づいた。私が言うことは『やらなかったひと』『できなかった人』に悔いを残させるらしい。ガンをわずらった大切な人を病院で死なせたと後悔させるようだ・・・ あんまり家で看取ってよかった、と言い募るのはよろしくないかなあ、と思ったりしはじめた。」とあり、最後に「私たちが、この近代のもたらした衣食住の見事な豊かさと、なにを引き換えにしたのかを、家で看取る事を機に、わたしはさらに深く考えるのである」とむすばれています。

介護の仕事で、独居のお年寄りに関わるたびに、普段その人が日々機嫌よく暮らしているのか気になります。食事は栄養面のみならず時には好物も食べることができているのか、清潔な衣服を身に着けているのか、定期的に入浴しているか、うんちとおしっこは快調か、さみしくはないのか。

因みに、
当日の展示ホールでは併催して、天草下島全域で訪問診療をされている倉本先生がエンディングノートの解説をされていました。倉本先生からも現場のエピソードを色々と聴きたかったのですが。

おまけ
youtube動画
三砂ちづる×平川克美「見限られた身体」
対談の一部 (約10分間)
https://bit.ly/2RhZmh2


                    リハスポット YELL -エール-  有江

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