「自分の周りにある普通が本当に普通なのか?」
ということを考えさせられる出来事がありました!
コレです。
2歳になる息子と一緒にトイレに行くと、このように座って用を足していました。笑
この光景を見た瞬間、「普通」とは何なのか?
と僕の頭の中にある過去の記憶をさかのぼり、
走馬灯のように「普通」という文字が駆け巡り、
僕の頭の中はすぐに「普通」という文字でで埋め尽くされました。
普通とは一体何なのか!?
ということで意味を調べてみると、、
普通とは一体何なのか!?
ということで意味を調べてみると、、
✳︎普通とは
「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。」
とのことです。
よくわからない、幻想に過ぎないのではないかと思い始めました。
だって、人によって「普通」って違うから、10人いたら10人が全く違う普通を持っていることだってあるからです。
例えば
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車が一台も通っていない真夜中の道を友達3人で歩いていたとします。
そこに横断歩道が見えてきます。
信号は「赤」です。
車が通っていないから平気な顔して渡るAさん、、、
Bさんも何も言わずに渡ります、、、
Cさんは内心「え!赤信号だけど!こいつら何考えてんの!?」って思います、、、
そこにたまたま警察が通りかかって怒られます。
このときのCさんの気持ちは複雑。
みんなが「普通」に信号無視して渡ったから、渡っただけなのにー、、です。
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家族で生活していても息子とのトイレ事件があるように、こんなことなんて日常茶飯事です。
ましてや、生きてきた背景が違う他人と仕事をする職場においては、もっとかもしれません!
話は変わりますが、
最近、会社の中で「姿勢のルール」というものを導入しました。
・挨拶は必ず目を合わせて相手に聞こえる声で行う
・髪が制服に触れないように髪留めを使用して結ぶ
・電話は相手より先に切らない
・業務終了後はテーブルの上にはPC、電話、複合機以外は何も置かない
などなど
会社の中での「普通」を作るためのルールです。
このルールがあることで少なくても、
「あの人はこうしてるけど、私はこう思う」
「こうやったほうがいいのに、何であの人はこうするのか」
などといった不必要な「普通」のズレに対して予防線を張ることが出来ます。
このズレを防ぐことは、不必要な小さな心配事に惑わされず、自分のフォーカスしなければならない仕事に集中できるというメリットがあります。
自分の普通を会社の普通に合わせなければならないところは大変な部分はありますが、会社のメンバーの普通が揃っている会社の方が絶対に会社としていい仕事ができるものと思い、みんなで頑張って取り組んでいます!
話がそれましたが、結局トイレ事件を通して学んだことは
僕の普通は、誰かの普通ではないということを前提にして考えないといけないということです。
普段の生活で自分の「普通」を押し付けて、周りの「普通」を批判していないかには注意が必要だということに気が付きました。
色々な価値観を受け入れることの大切さにも同時に気がつきました。
たくさんの気づきを与えてくれた息子に、
そして
たくさんの気づきを与えてくれた息子に、
そして
自分の中から出てきた茶色いものに優しくバイバイと話しかけている息子に対し、もはや感謝しかありません。
息子がただ反対向きに便座に座るという事件を通して、このような変な妄想をさせる秋の朝の空気感が僕は好きです。
小川知己
PS
ちなみに、便座の座り方は
こうではなく、
こうでもなく、
こうです!
みなさんどうか自分の中の「普通」にお気をつけください。
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