恥ずかしながら私は33年と10ヶ月生きてきて、こんなに素晴らしい方が天草にいたなんて知りませんでした。
初代龍ケ岳村 村長 森國久
この方との出会いは同じ龍ケ岳出身の
訪問看護リハステーションRICHEの西山PTからの紹介でした。
「こんな素晴らしい人がいるのに知らないなんて信じられない」
「考え方、生き方、視野の広さ、全てにおいてカッコいい」
彼女は、まるで惚れているような口ぶりで、ときおり頬を赤らめながら紹介してくれました。
そして・・・
「とにかくこの本を読みなさい」と
紹介された本がこちら!
地方創生に駆けた男
天草架橋・離島復興に命を賭した森國久
森國久が政治家として、天草に多大な影響を及ぼしたこと、彼が何を想い、何を成してきたのかはこの本に全て書いてありますので、ぜひ読んでみてください!
この本を読んで自分が感銘を受けた名シーンを抜粋して勝手にご紹介します!w
「政治家としての野望が半端ないっ!」
昔々あるところに天草という小さな島がいくつもある地域がありました。
そこにはたくさんの市町村があり、それぞれの市町村で楽しく生活していました。
しかし、そこには顕在化していないたくさんの問題が潜んでいました。
・都市部との収入格差
戦後まもないその地域は都市部と比較すると、平均収入の差が2倍以上もありとても貧しい生活をしていました。
・都市部との情報格差
もともと離島であり、日本の都市部が戦後どのように豊かになっていったかは知る由もなかった(そもそも離島で、船で渡らなければその地域にはいけない鎖国状態)
・国の予算の多くは都市部に配分
戦後都市部の発展は著しかったが、地方の特に離島に至ってはほとんど手つかずの状態(当時、整備されている道路なんてものはなく、でこぼこ道しかなかった)
・地方の離島は働き手として排出するための場所
都市部の発展を助けるために、地方から都市部へどんどん人が出て行く。
地域を守る、育てる、発展するための若い人材は地方へ流れていき、地域格差はどんどん広がった。
これが天草地域の現状でした。
これらの顕在化していない問題をいち早く察知し、解決に向けて動いた男!
それこそが、森國久という男です!
その先見性や視野の広さが素晴らしすぎます!
天草地域にある課題を壮大なスケールで、先の未来を見据え、一人行動を起こしていました。
その①「天草に橋をかける」
天草に橋をかけることで寸断された情報格差をなくす。
天草五橋 建設
その②「天草全土に道路を整備する」
天草に橋がかかるだけでは、天草全土に情報や技術が行き届くことはない。橋の建設と同時に天草全土に交通網を整備。
国道の開通
その③「天草を世界のAMAKUSAへ発展させる」
当時(昭和29年)、
天草全土(現・上天草市、天草市、苓北町)
の人口は合わせて20万人。
熊本市の人口が30万人。
森國久は天草全土を合併させることで天草を一つの市にまとめ、熊本県で2番目に大きい市を作ることを構想していた(これは実現できず、構想のままとなった)。
熊本県に占める天草市の割合はとても大きい
なぜ、熊本県で2番目に大きい市を作る必要があると、ここからがカッコいい。
彼は、人口20万人の「天草」が、朝鮮や中国、アジア諸国と日本をつなぐ窓口になることを構想していたのです。
そうすることで、天草はただの田舎の島国ではなく、アジア諸国から情報が集まり、一つの都市として大きく発展できると考えていたのです。
そうなると、
・収入格差や情報格差の解決
・国の予算配分の増額
・労働力の排出としての地方ではなく、日本になくてはならない都市としての発展
全ての課題が解決し、地域に暮らす人々がさらに幸せな生活を送ることができる。
そのように考えていたようです。
戦争が終わって、まもない時に、、、
しかも、
テレビもネットも何もない地方の島国で。
このような壮大なビジョンを持って活躍された人がいたなんて。
しかもしかも、38才という若さでここまでの視座の高さ。
もはや神です。
天草の英雄「森國久」を知らない自分が恥ずかしくなりました。
もし・・・
「まだご存知ない??」
天草の方がいらっしゃるのであれば、黙って本を購入しましょう。
龍ケ岳にあるかりんとう屋さんに売ってあるそうです!
「キララきたざと」
熊本県上天草市龍ケ岳町高戸4137ー14
僕はアマゾンで購入したのですが、本の到着まで2週間近くかかりましたw
歴史上の人物や自伝、そして政治家については恥ずかしながら全く興味がなかったのですが、この本を読んでみるとそんな僕でも学びたいと思える一冊でした。
僕も森國久さんのようなカッコいい男になりたいと心に決め、世の中のためにできることを力一杯やっていこうと思います。
とりあえず
選挙カーへ全力で手を振ることから始める
33才10ヶ月の男
株式会社リハビリテーションコムラッド
小川知己