という問いに迷子になっている小川知己です。
そんな時はやっぱりお寺とか神社とかだろーって勝手に思い込み、
もちろん今までお寺なんて行った事ないです。笑
お寺に行きたいと毎晩寝る前に呪文のように唱えていたところ、
ある日、僕の目の前にお寺の娘さんが現れました。
「私の実家は信福寺というお寺ですよ」
お寺というワードにアンテナを張っていたため、すぐに反応しました。
ダメもとかつ、変なヤツと思われても構わないと思いつつ、、、
次の瞬間にはすでに、
「お坊さんのお話をぜひ聞きたいです。どうしたらお話聞かせてもらえますか?」
と口走っていました。
以外にも変なヤツと思われずに、すんなりお寺へ行く日程が決まりました。
お寺に行きたいと言い出したものの、どんな話をしていただけるのかはこちらが何を聞きたいか次第だと思い、どんなことを聞きたいのかをまとめてみました。
その恥ずかしい内容はこちら、、
・神社と寺の違いとは
・南無阿弥陀仏と唱えるとなぜ極楽に行けるのか
・宗教とは何なのか、何のためにあるのか
・お寺の宗派が違うのはなぜか
・煩悩(人間の欲?)とは何か
・煩悩との向き合い方
自分探しをしている人らしい問いばかりが出てきました!笑
実際にその娘さんのお寺(信福寺)に行って話を聞いてみると、、、
今まで仏教など興味もなく、学んだこともなく、知ろうとしなかった自分が恥ずかしくなるほど素晴らしいものでした。
信福寺
(天草市河浦町河浦226)
突然ですが!
みなさん、神社とお寺の違いご存知ですか??
神社は
地域発展に貢献した人、ものすごい功績を残された人、不幸にも戦死してしまった人たちなど、これらの方々を神として祀(まつ)りましょうということで祀ってある場所とのこと。
お寺は
仏教の教えを広めるための拠点。
この二つの違いを知った時、ハッとしました!
「神社で何でもかんでも神様にお願い事をしていたのは間違いだった。笑」
例えば、
鈴木神社は天草のために尽力した鈴木重成公を神として崇めるための場所としてある。
鈴木神社の詳細はこちら
→http://yumeko2.otemo-yan.net/e473085.html
その神社で、「恋が実りますように」なんてお願いをされても鈴木重成公もちょっと困ると思うのです。笑
僕も中学時代はよく鈴木神社で「恋が実りますように」とお願いしたものです。
見事撃沈しましたが、、笑
(決して鈴木神社のせいではなく、小川に魅力がなかっただけ。笑)
なので、何でもかんでも神社に行って神様にお願い事をするのってなんか違うなーっていう感じです。
その神社がどういった背景で建てられたのか?を知ることで、そこでお参りする際にはどういう意図でお参りするかが変わるということです。
次に鈴木神社でお参りするときは
「あなた様のご活躍のおかげで今があります。私も仕事などに精進しますねみたいな感覚でお参りします」
こんなことも知らなかったのかと思われるぐらいのレベルです。
話がそれました、、、
神社とお寺の違いは一言でいうと
「哲学があるかないか」だそうです。
神社には哲学はありません。
お寺にはお釈迦様の教えとして「仏道」という哲学があります。
これが違いだそうです。
哲学などの本を読むのはとても好きでたくさんの本を読んできましたが、仏教に関する本は1冊も読んだことがありませんでした。
しかし、前にあげた私が聞きたかったことを聞いていくうちに本当に素晴らしい哲学がそこには隠されていました!
信福寺の住職さん
(今流行りのハズキルーペをかけた71才のとても物腰の柔らかい方)
約2時間近く色々なお話を聞かせていただいた中で、私は大きな気づきを得ることができました。
ここで得られたのは一生の宝となるぐらい重要な気づきでした。
「幸せの価値観についてです」
住職さんは数あるお話の中で次のようなお話をしてくださりました。
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私が50代のころ、このお寺にある男の人がたずねてきました。
よく見ると小さい頃から一緒に過ごした同級生の友人でした。
神妙な顔をしてお寺に来られたそのかたは相談があるとのことで来られたようですが、妙に深刻そうな顔をして次のように話し始められました。
「余命1年と宣告された」とのことでした。
目の前が真っ暗になり、何をしていいのかもわからない。
この先どうしよう。
そういった内容の相談でした。
私は友人の余命宣告に驚くと同時に悲しい気持ちさいなまれました。
そして、一言その方へこのように話しました。
「好きなことをして過ごしたらいいじゃないか」
「釣りが好きだったから、釣りをして過ごすのもいい」
「パチンコが好きだったから、パチンコをして過ごすのもいい」
このぐらいのことしか声をかけることができず、その日は別れました。
後日、その友人がまたお寺にやってきてこう言いました。
「自分が死ぬ前にやりたいのは、釣りやパチンコじゃなかった、、」
「自分が本当にやりいことが何なのかわからん」
・
・
・
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このお話を聞かせてくださった後に、住職さんはこう話されました。
人間は死を意識したときに初めて自分自身と本当に向き合えることができるものです。
まだ若い自分が死ぬはずがない。そもそも死ぬことなんて考えたことがない。
今の日本では死ぬことが身近ではないためか、なかなか死を意識することはないかもしれません。
しかし、
死(終わりがある)ということを意識することで、今すべきことが明確になる。
自分とは何なのか?
幸せとは何なのか?
終わりを意識し、終わりと向き合うことで、本当の自分に出逢うための色々な気づきが得られることを教えてもらいました。
最後に、住職さんからこのようにたずねられました。
「あなたは明日死ぬなら何をして過ごしますか?」
「それが明確に答えられますか?」
私は実は明確に答えられる答えがありました。
「家族や友人、仕事仲間、たくさんの大好きな人たちと一緒に食事をして過ごす」
自分の幸せの価値はここにあるということを再認識できました。
創業当時(27才の時)から常に考えていたこと
私の幸せの価値基準は、
「自分の周りにいる人がどれだけ輝いているか?」
この価値観は会社の3つの方針の中の1つにも反映されています(社員に対して)。
ちなみに、会社の3つの方針はこちら
http://r-comrade.com/
まだまだ未熟で、自分自身成長途中で多くの方の力を借りないと何もできずにいますが、必ずや恩返しできるよう自分にできることは、日々一瞬一瞬に全力を尽くすということと再認識できた時間になりました!
ちなみにこの考え方に気づかされたのは、
ベンジャミン・ザンダー
(世界的オーケストラ指揮者)
の方のプレゼン動画でした。
面白いので、ぜひ見てみてください!
「音楽と情熱」ベンジャミン・ザンダー
TEDより
この他にもまだまだいろんな気づきや学びが得られたのですが、また別の機会にご紹介したいと思います!
最後になりましたが、今回時間を作ってくださった信福寺の住職さんにはとても感謝してます。
ありがとうございました。
最後の最後に、、
住職さんがハズキルーペをかけられていて
こんな田舎の住職さんにサービスを届けられる
ハズキカンパニー株式会社のすごさも学ぶことができました!笑
株式会社リハビリテーションコムラッド
小川知己
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