人と喧嘩した時
意見の食い違い
意図せず相手に不快な思いをさせた時
などなど・・・
「ごめんなさい」を使う機会は日常生活の中で案外多いかと思います。
かくいう私も・・・
先日、子どもが些細なことから長男と長女が喧嘩をしていて、
髪を引っ張っる、叩くことをしていたので、
「やめなさい」と伝えました。
しかーし!
全く親の話は聞かずに、ずーっと喧嘩が続いていました。
見兼ねた私は「コラー!」と叱って、
げんこつしました。
その後子どもは泣きながら、母親のところへ言いにいきました。
母親から、「人を叩いたり、傷つけたりしたらダメだよ」などということが伝えられ、お互いに「ごめんなさい」と長男長女は伝え合って終了したかに思われたのですが…
しばらくして、
泣き止んだ長男は「お父さんも叩いた…」と母親へ伝えにいきました。
そして、
長男は私のところへきて
「人を叩いたりしたらダメだからお父さんも謝って…」と伝えにきました。
私も叩いて悪かったなとは思っていたものの、
「ごめんなさい」が一瞬
言いづらい感覚に陥ったことを覚えています。
なぜ、
そんな感覚になったのかを考えてみました。
・自分は悪くないという感情
(言い訳、自己防衛)
「私の気持ち」
子どもたちが喧嘩をやめない
ワーワーうるさい
親の言うことを無視する
だから、私はげんこつした。
という理由がある!だから謝る必要はない!
・相手にどう思われるかな
(許してくれるかな、謝ることで相手が優位に立つと嫌だな、自分が優位に立ちたい)
「私の気持ち」
謝って許してもらえなかったら嫌
子どもに謝ることで自分が「下」になりそう
子どもには常に優位に立っていたい
威厳ある父親である必要がある!だから謝りたくない!
しかし、
人を叩くのはいけないと言いながら
(教えながら)
げんこつをしている自分は間違っています。笑
色々な心の葛藤はありましたが、
素直に「ごめんなさい」を言えました。
この経験から学んだことがあります。
「ごめんなさい」というのは相手に許してもらうことを目的にするものではないということ。
「ごめんなさい」の本質は自分の心の発露だと。
なので、
「何」に対して自分は謝りたいのかを結構真剣に考えます。
今回の僕の「ごめんなさい」の「何」は何かと言うと…
・「感情を抑えることができずに、カッとなって叩いてしまうような未熟な人間です」ということの発露
・「面と向かって伝えるのは恥ずかしいが大好きだから嫌いにならないでほしいと思う気持ちを持っている」という発露
付け加えていうと、
相手に対して「許してほしい」というものは謝罪の本質ではないと思います。
許すか許さないかは相手が決めることであって、その決断を下すことに対してこちらは何もできないから。
みなさんはいかがでしょうか?
「ごめんなさい」という言葉を考えただけでも、色々なことが見えてくるかと思います。
まだまだ未熟な34歳ですが…
素直に「ごめんなさい」が言えるような大人になりたいです。
人に対して謝ることが難しい理由がなんとなくわかった気がしている34歳。
PS
6/8が誕生日でした。誕生日プレゼントは前後1ヶ月間受け付けておりますw
株式会社リハビリテーションコムラッド
代表取締役 小川知己
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